私は「無知」であることを知っている
舞台中央にソファーが1つ。柔和な表情に貫禄が同居するワーマン氏が深く腰を下ろし、話を始める。一人一人に優しく昔話を語りかけるかのように。
現代は、手に入れる意志があれば、いくらでも情報を得られる特異な時代。しかし、多くの情報は理解される形で提供されず、また積極的に理解しようとする人も少ない。カメラのマニュアルは、高い専門性を持った人にしか理解できず、われわれは「最近どう?」などと聞きたくもない答えのために質問をして、退屈を更なる退屈で埋める。だが、氏は違う。「知りたい」という無限の好奇心を持つ。自分が理解できる形の情報を他者に提供しようとする。あくまで自分が基準であるのは、氏が「無知である」と気付いているから。「無知だからこそ、情報を分かりやすくする必要性を知っている、溢れる情報を収斂(しゅうれん)して理解しようとする」。「無知は財産」と思える思考にこそ、情報を理解する本質があるのだ。(是)
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