脱「フォルム偏重」のデザイン教育
このセッションは亜欧米でデザイン教育に携わる5人が参加、未来に向けてのデザイン教育を中心に、それぞれの試みや思考を紹介するものだが、参加者の大半を学生が占めた今回、教育に関してというより、デザインの再定義やフロアで耳を傾ける学生への直接メッセージが内容の大半をしめた。
勝井氏は、感覚器官・脳神経の果たす役割を現在こそ再認識すべきという前提の下、知覚にアプローチするマルチメディアの学生作品を紹介しながら、「今後、デザインの職能とはソフトウェアをつくっていくことと同義、デザイン教育とはプロセスの理解を教育」と提言。
トリヴェディ氏は「神は一瞬にして(自然の中に)美を作り上げる。我々はなぜ(デザイン教育を受けても)できないのか」と嘆きつつ、結論を「神の仕事の仕方を理解すること」と茶化してみせたが、フォルム偏重のデザイン教育批判や、アジアの寺跡のデザイン思想などの話題を提供。その考察は深い。持続性のあるデザインを標榜するブリンコー氏は、グラフィックデザインは、ようやく大学生にまで成長したと述べ「ようやく他者に近づいたり、外部にアピールできるようになる。クライアントの持ち物だったデザインから、社会の中でのデザインの役割を学生に考えさせるべき」と語る。
各スピーカーの言葉はそれぞれ厚みを感じさせたが、会場の三つの大画面を活かして美しい写真のシークエンスを見せてくれたのが、オッカース氏とサンス氏。プロジェクトの風景に散りばめられた瑞々しい感性、異国を旅する学生たちの表情。人生のある一定の期間のみ可能な、かつその年代を過ぎ去った誰もがその感触の覚えている旅だ。教師たちのシャッターは暖かい。(長)
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