ゲルト・バウマン(独)

数列が隠れた、ロジカルなデザインとは

今日の講演の前にすでに2週間ほど日本に滞在し、沢山の学生たちとタイポグラフィについてセッションしてきたバウマン夫妻。日本で過ごした時間はとても楽しかったと挨拶。夫妻が紹介したのは「SIEMENS」のCIの仕事。シーメンスはドイツ最大の企業でその分野は医学、携帯電話、風力発電、空港建設など多岐に渡り、その傘下には600もの企業があるという。だから親会社だけでなく子会社のことまで考えながらフォントの形状、色彩、配置などを構築する必要があった。
そこで夫妻が用いたのが、「フィボナッチ数列」だ。アラビア数字を伝えたと言われるイタリアの数学者の原理で、1、1、2、3、5、8、13と前の数字を足していくものだ。その比率は巻き貝などの自然界や、またバイオリン、名画の構図などにも見られる黄金比だ。この数学原理のなかに企業が成功し、発展してゆく姿を見ることができ、それをロゴに投影してゆく夫妻。ロジカルなドイツならではのお国柄を垣間見たような気がする。なぜそのようなデザインを思いついたのか、という素朴な市民の問いかけに、納得のゆくまで説明してくれる、説明できる、そんなインテリジェンスを感じた。(坂)

松永真(日)

「おもしろくない話」にこそ見えるもの

講義というより松永氏からのプレゼント。次世代のデザイナーたちへのメッセージだった。「常識」。この言葉に思いは集約されていた。クリエイティブは「普通」や「当たり前」を望まない。氏はその誤解を指摘。平和で普遍的な状態が中核にあるからこそ社会は成立する。基本的なルールの上にわれわれは生きている。水や空気のごときクリエイティブ。それが地味であっても人が生きるために不可欠な要素。冒頭20分程でこれでもかこれでもかという勢いで見せた氏の作品映像集が、その後語ったメッセージに何よりの説得力を与える。常識を肝に置く「まんなかのデザイン」の提唱、は不透明で混沌の世の中とアイデンティティの模索に迷走する現代の人々にとって、クリエイティブにできる可能性と課せられた使命を示唆するものだった。今回の「おもしろくない話(松永氏)」は若者たちに厳しさと優しさの混ざったような光を投げかけた。(池)

青木克憲(日)、佐藤可士和(日)

メッセージをありがとう、スーパースター!

誰もが予想していた満員の場内。立ち見、しゃがみ見ありのすごい熱気。まずは村上隆デザインのニットを着た青木氏からスタート。サン・アド時代から現在までの作品を音楽と共に映像で見せた。今、力を入れているプロジェクトは動物キャラや紙でできたロボットなどの制作。残ってゆくキャラクタービジネスに注目しているそうだ。
そして可士和氏。博報堂をやめる転機にもなったというキリン・チビレモンのコンセプトから始まり、SMAPのブランディングを中心に明快な解説が続く。渋谷のスペースというスペースをSMAP媒体で埋めようと奔走したという話に時折笑いが起こる。100円あげるからSMAPシールを貼って歩いて、と一般の人に頼んだというではないか。これからは病院や学校のアートディレクションも手掛けてみたいという。最後に二人は、もっとなんでもアートディレクションしよう、社会にかかわっていこうというメッセージを残した。そしてサインを求める人垣ができた。(坂)

ロバート・モーグ(米)
モデレーター:東泉一郎(日)、佐藤卓(日)、トム・ヴィンセント(英)

インタラクティヴな感覚の共有と共感

このセッションの大前提であり同時にひとつの結論であるのはこうだ。世にいう「インタラクティヴ・デザイン」はデザインの特別なジャンルではなく、人間が作った日常に溢れているモノとそれを使う人との関係性そのものなのであるということ。関係性は言いかえれば「距離」であり「かけひき」。そこに介在するのは感覚だ。モノとの距離の変化によって何らかの感覚的なフィードバックが生まれる。このように言葉にすれば当たり前のように理解できることを共有した意味はある。おそらくそこからデザインの話に流れ落ちていく段どりを聴衆は期待しただろう。
しかしセッション半ばからモ−グ氏を壇上に迎えた会場は空気を変える。佐藤、東泉、ヴィンセント三氏に表れた「博士」への最大級の敬意は彼を知らない聴衆にも伝播し、皆で「ありがたい」モ−グ氏の言葉を頂戴した。氏はひとりの技術者として聞かれるがままに答えた。印象的だったのは、シンセサイザーを独自の発想でつくり出したわけではなく、使い手つまりミュージシャンの望む思いや意見に対して常に忠実に応えながらつくり出したのだということ。これはモノと使い手との関係性を意識しながらデザインを実践した好例であろう。シンセサイザーと隣に並んだテルミンと氏の言葉は何よりの重みある説得力となった。一般に「シンセサイザーの発明者」と紹介される氏の功績だが、氏の口から「発明」の言葉はまず出ない。突飛な思い付きによって生まれたものでなく意識的にデザインされたものだということがわかる。
一方でセッション終盤は思わぬ展開へ。作品紹介とその議論のために用意した東泉氏のコンピュータがフリーズ。これが発端で、普段からモノというのは使う人の気持ちや感覚を受け取っているのではないかという話に至った。偶然のハプニングから生まれた「インタラクティヴ」な話題に満員の会場は不思議な空気に包まれた。(池)

ビル・バクストン(加)、アニルダ・ジョシー(印)、スティーヴ・カネコ(米)、勝尾岳彦(日)

デザイナーは映画監督であれ!

インターフェイスデザインとインタラクションデザイン。違いが分かりますか?前者はアイコンのような物理的対象物に対するデザイン。後者は人間の要素が入る対話型デザインのことだ。つまり後者が前者を内包する。会場でも区別できる人の挙手が求められたが、違いを知る人は少なかった。
トップバッターは勝尾氏。学生が多数を占めたため、「技術を使いこなすには、シンプルに再構築できるデザイナーの力が必要。デザイナーの活動範囲は確実に拡大している」と講演の基礎的な部分を説いた。
学術的な立場から語ったのはジョシー氏。「対話型のデザイナーは映画監督でなければならない」と指摘する。映画監督が常に全体を理解しているように、デザイナーも同じフィールドに閉じこもるのではなく、異分野ともコラボレーションする必要性があるのだ。マイクロソフトのカネコ氏は「機能的にしても、複雑にはしない」ということをWINDOWSで例証。リモコンに600個のスイッチを作らないための大変さを目の当たりにした。
物が買えるポスターを提示して力説したのはバクストン氏。「グラフィックはもはや紙のような静的なものに収まらず、動的なディスプレイとして捉えるべきだ」と身振り手振りを交えて語った。
講演中の質問がOKであったり、バクストン氏からソフトのプレゼントがあったりと、文字通り対話型であった本講演。対話型デザインはもう知らないものでも、遠いものでもなくなった。(是)

佐藤雅彦(日)

好きなものから、僕の私の方法論へ

おそらく並んでいた人数の1/5も入れなかったのではないだろうか。入場制限がかけられ、多くの方が悔し涙を飲んだ。講演が終わった瞬間も100人を超えるほどの熱狂的なファンがつめかけ、氏に写真やサインを依頼。芸能人顔負けの人気ぶりであった。講演は当然、抜群に面白い。デザインは自分と無関係だと悩みながらも、段ボールや料金表など好きなグラフィックを集めた逸話。それを要素還元して「枠」を愛する自分に気付き、枠デザインにエクスタシーを感じた20代。グラフィックでひとつの方法を見つけた氏は、次にCM界に足を踏み入れた。そこで絶対的な方法論として編み出したのが「音から作る」ことであった。ただひたすらキテル音を探すこと。スコーンやカローラIIやフジテレビなど何百本もの大ヒットCMが、この方法論から誕生したのである。現在も氏は大学の研究室で音から映像を作る楽しみを学生に伝えつつ、アニメーションの作り方をはじめ、新たな方法論を作り続ける。作り方を作ることは、独創性やユーモアも作ること。氏の作品はそれを鮮やかに証明する。(吉)

[ライター] 池端宏介/是方法光/坂本順子/紫牟田伸子/長谷川直子/久永理/武藤櫻子/吉岡奈穂/Helmut Langer/Maggie Hohle/Nicole Rechia/Trysh Wahlig/Gitte Waldman/Robert Zolna
[撮影] 浅井美光/勝田安彦/水谷文彦